無料カウンター

ピアノの調べにのせて2009/08/06 18:52

「……愁、ちょっと聞きたいんだけど?」
「…お兄様と呼べ!」
「ブレンドコーヒー一杯分の会計が、売上げ金から不足してるんですがどういう事でしょうか?スケコマシのお兄様」
「くすくす…愁兄さんまた女の人の相談に乗りながらコーヒー一杯奢ったんだろう?」

今日は四男と五・六男が通う学園の創立記念日である。
高等部に通う愁と、中等部に通う智(さとし)と刹那(せつな)は休みの為朝から喫茶店で働いていた。
愁はウェイター、智はレジ係兼経理担当、刹那は力也の助手と晃貴の味見係兼ウェイターである。
このご時世に何故か算盤を弾きながら昨日の売上げ金を計算し、眼鏡の下からジロリと四男を睨む智と、彼とは対照的に苦笑しながら愁に助け舟を出すのは刹那だ。
彼等は一卵性双生児なのに性格はまったく違う。生真面目で物事全てに正確さを求め、兄弟の中で一番頭が切れる智に対し、双子の弟である刹那は滅多に怒らない春のそよ風のような温厚な性格で周りをいつも和ませている。

「今回は俺じゃねぇよ…」
「「え?」」

刹那の意見に珍しく反論する愁。そんな兄の様子に弟達は思わずユニゾンになった。
すると…

カラン

「すいませぇ~ん!●●運送ですが、これはどこに運べば良いんでしょう?」

ベルが鳴ると同時に作業服を来た若い男性がそう言って帽子をとってペコリと頭を下げたのだ。
彼の後にはどうやら大きな物を運んでいる同じ作業服を着た男達がいる。

「あの…これ何でしょうか?」
「実は佐伯 広大様より、このアップライトピアノをこちらに運ぶように言われてまして…」

愁が慌てて入ってきた男性に声をかけると、彼の口から最も聞きたく無い男の名前が出てきたのだ。

「「広兄さん?!」」
「また誰かの廃棄物を引き受けてきたんじゃねーの?」
「はぁ~~~(溜息)。あの男は断るという術を知らんのだ!よくそれで会社の社長が務まると思う…」
「俺も力兄に同感。でもさ、いつまでもあのままじゃあの人達気の毒だからとりあえず店の中に運んで貰わねぇ?」

佐伯 広大(こうだい)とはこの兄弟達の兄…ようするに長男で画商をしていながらこの店のオーナー兼ソムリエをしている34歳の男の事である。
昼は喫茶店、夜はレストランになるこの店には一応ワインも何種類か置いてある為ソムリエがいるのだが、それが今のところ人材が無い為趣味も兼ねて長男がやっているという訳だ。

「あの時広兄が奢った相手はピアノの持ち主だったんだ…」
「愁兄さん?」
「智、不足分は広兄からせしめろ。俺は言われたとおりにブレンドコーヒーを入れて持っていっただけだからな?」
「…考えたくはないが、もしかして広兄さんはあのピアノをコーヒー一杯で買った…という事か?」
「ありえねーっ!!売る方も売る方だけど。大方処分に困ってる奴にコーヒー一杯と交換なんつー事持ち出して引き受けたんじゃねーの?」
「あの男の事だ。充分有り得る…」

名は体を表す…とはよく言ったもので、とにかく人が良い長男は困った人間を見ると手を差し伸べずにはいられないのだ。
広大は刹那と同じ和み系タイプだが、常識外れの長男より最低限の常識観念を持った六男の方が圧倒的に兄弟達の人気が高い。

「くすくす…お客様が入ってなくて良かったね」
「ああ。だが、アレをただのオブジェとして店に置いておくのは無理があると思うけど?」
「んじゃいっその事演奏してくれる女の子を雇うって言うのは?」
「そりゃ良い考えだ…って!おい!愁!!誰が面接すんだよ!俺わりーけどクラッシックなんて全然わかんねーからな!」
「晃貴…まだ演奏者を雇うって決まってないだろ?」

運送業者のスタッフ達がアップライトピアノを運んでいる間、長男を除いた兄弟達の話し合いがなされていた。
そして、結局智の提案により店の隅にアップライトピアノを置くことになり、セッティングをしたスタッフ達は代金は既に貰っている旨を告げて店から出て行ったのだった。
刹那は興味深そうにピアノに近づくと、蓋を開けて鍵盤の上に乗っている赤い布を取り除きポロン…と弾いてみた。
すると…

「にゃあ~」
「あれ?タンゴが鳴いてるよ?」
「……珍しいな。好みの雌猫でもいたのか?」
「んなの客が来る知らせに決まってるだろ?とにかく準備しようぜ」

愁はそう言って刹那にエプロンを渡した。

「いやっしゃいませ」
「えっと…あの…私…」
「とりあえずお席にどうぞ。これからメニューをお持ちしますから」

入ってきたのは制服姿の少女だった。肩までの髪を後できっちり真ん中で分けて耳の下あたりで二つに縛っている。
上に着ているコートは紺色でデザインといい、色といい、学校指定の物らしい。
両手にカバンを持ち、もじもじとした様子の少女に向かって刹那はにっこりと微笑んで挨拶すると、流れるような仕草で彼女を席へと案内した。
そこへタイミングよく水とお絞り、そしてメニューを持った愁がやって来た。

「ご注文は?」
「あの…まだモーニングセットって大丈夫ですか?」
「ええ」
「では…モーニングセットのBで。えっと飲み物は…ホットのカフェオレにして下さい」
「畏まりました」

少女から注文を聞いた愁は、いつもの営業スマイルで頷くと厨房にオーダーを告げに行った。

「………ボイコットかずる休みか…」
「智…お前何言ってんだ?」
「愁、気付かないのか?あの娘の制服、聖藍学園だ」
「へぇ~彼女、あの有名な音楽学校の生徒さんなんだ。
でもさ、入ってきた感じがこういう場所に来るの初めてって様子だったから、恐らく学校をサボるのも今日が初めてなんじゃないのかなぁ…」
「愁とは別人だな…」
「お前な……ま、当たってるけどさ…」

ウェストに同色のベルトがついている一見ワンピースのようなデザインの紺のセーラー服。そのセーラーカラーにはライトブルーのラインが入っており、それと同色のネクタイを結ぶ形になっている。
地元で有名な音楽専門校の女生徒の制服は、愁や智、刹那のような他校生の間ではかなり人気が高かった。
膝くらいまでの長さの車ひだのスカート、そして紺色のハイソックスに黒いローファーを履いた少女は、学校をサボって喫茶店で食事をしている風情ではない。
どちらかというと、真面目に授業に出て校則とかもきちんと守っている模範生といった感じだ。
愁と智、そして刹那が少女の事を観察しながら小声で話していたその時…

「あの…すみません…」

少女が手をあげて彼等を呼んだのだ。

「やべっ!今のもしかして聞かれちまった?」
「愁の声が大きいからだ」
「くすくす…愁兄さん、サト、僕が行って来るよ」
「頼んだぞ?」
「セツ、任せた!」

二人の兄の期待を背負って、刹那は彼女が座っているテーブルに行き用件を聞いた。

「どうかしましたか?」
「いえ…あの、そこのピアノが気になって…」
「ああ。アレですか?実は今日ここに来たばかりなんですよ。そうだ!良ろしければ弾いてみませんか?」
「いいんですか?」
「勿論です。僕らは誰も演奏出来ませんから」

そう言うと、刹那は少女をエスコートするようにしてピアノへと案内した。

「何だ…ピアノが気になっただけなのか…」
「セツは彼女に弾かせるつもりだな…」

ホッと胸を撫で下ろす愁と、中指でくいっと眼鏡のフレームを持ち上げながらそう呟く智。

「結構古いピアノですね…」
「調律はしないでも弾けそうですか?」
「ええ。充分手入れされてますよ。あの…何かリクエストとかあります?」
「いいんですか?それじゃ、ブラームスのワルツとかお願い出来ますか?」
「はい!丁度楽譜がありますから!」
「それでは、僕が貴方のカバンをここにお持ちしましょう」

刹那がそう言ってテーブルに少女のカバンを取りに行くと、彼女は指のトレーニングらしきものを始めた。
そして、彼がカバンを少女に渡すと、彼女は中から楽譜を取り出し、ピアノに立てかけた。

♪~♪♪♪♪~

静かに流れる三拍子に刹那は瞳を閉じてうっとりとした表情で聴き入っていた。
モーニングタイムを過ぎているというのに、次の客が入ってこないのが気になったが、兄弟達はフロア担当の者も厨房にいる者もいつの間にかピアノの傍に来て少女のきゃしゃな指が奏でる優しいメロディーに暫くの間耳を傾けていた。
そして、曲が終ると…

「すみませんが、もう1曲リクエストしても宜しいでしょうか?」

智が眼鏡のフレームを中指でくいっと上に上げながら少女に話しかけたのだ。

「リクエスト?」
「はい。聞いて下さいましたらこのモーニングセットのお代は結構です。
いや、それだけじゃな足りないな…そうだ!当パティシエの本日最初のデザートもお付けしましょう」
「こら!智何言ってるんだ!」
「そうだぞ!作る本人に確認しねーで勝手に決めんなっ!!」

五男の意外な発言に四男と三男は口々に反論した。
しかし、少女はおずおずと智を見上げると逆に質問してきたのだ。

「あの…私は何を弾けばいいんですか?」
「ベートーヴェンのテンペスト」
「なっ…サト、それはちょっと…!それに、ソレはこんな古ぼけたピアノで弾く曲じゃないよね?」

普段は取り乱したり人に食ってかかる事のない刹那が珍しく反論した。

「いや…この人の実力なら俺が満足するような演奏が出来るだろう。それに…」
「?????」
「貴方の指はこんなワルツだけじゃ弾き足りないようだ…違いますか?」

きょとんとした表情をしている少女の顔を覗きながら、ピアノの譜面台とイスに手を置き長身を屈めて眼鏡の下から射抜くような視線を投げかける智。
そんな彼の視線にあてられたのか、彼女は頬を赤く染めた。

「//////あの………///////」
「今日、貴方がここにいらしたのも、このピアノを弾いてるのも何かの縁だ。だったら今日の良き出会いに。そして記念に是非…」
「でも…」
「にゃお~ん」
「ほら、タンゴもお願いって言ってる」

智がそう言うと、いつの間にか少女の足元にタンゴが来ていて彼女の足にすりすりしていた。

「……なぁ晃兄。俺、アイツがやたらと女にモテるのがわかる気がしてきた…」
「くくく…愁、お前もちったあ智を見習ったらどうだ?いつも優しい先輩、可愛い後輩、楽しい同級生をやってたって女はゲットできねーぞ?」
「アイツ、計算じゃなくて素であんな台詞吐くから、バリむかつく…」
「同感。俺ならたとえ酔っ払っててもあんな台詞はけねー!」
「くすくす…晃貴兄さんには晃貴兄さんの、愁兄さんには愁兄さんの良い所があるじゃないか。サトだって、ただお堅いだけの眼鏡くんじゃ面白くないだろ?」
「刹那にはかなわねー」
「ほんと!俺らには出来た可愛い弟だよ」

愚痴っている三男と四男を、癒し系の微笑みで慰める六男。
愁と晃貴は刹那の頭をくしゃくしゃっとなでた。
すると、今まで黙っていた次男が少女と五男の様子に変化が合った事に気付いたのか一人呟いた。

「ほぉ…彼女、どうやら智とタンゴに説得されたようだな…」

すると、途端にぱあ~っと明るい表情を浮かべる刹那。彼と双子の兄の智はクラッシックが好きで特にピアノ曲を好んで良く聴くのだ。

「じゃあここで生のベートーヴェンが聴けるんだ~っ!やった♪」
「刹那、そんなに喜ぶ事なのか?!」
「全くだ!!俺には同じクラッシックとしか思えねー!」
「そこ静かに!!それじゃ、お願いします」
「ええ。下手ですけど…」

はしゃぐ弟と、そんな彼の反応に驚いて声をあげる二人の兄に一喝すると、智は少女を促した。
そんな彼にこくんと頷くと、彼女は両手を鍵盤の上において深呼吸をし、先ほどとは違った表情で弾き始めた。

♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪

「…これが…ベートーヴェン…」
「何か…ちょっとアレンジすりゃロックになりそうだなー」
「……黙って聴け」

先ほどとは全く違うリズムを刻む鍵盤。その迫力に思わず溜息を漏らす愁と、クラッシックの概念を覆されたかのような表情を浮かべている晃貴。
力也はそんな弟達の行儀の悪さを嗜めたが、素人でもわかる表現力の凄さに驚きを隠せない様子だ。
そしてリクエストした当人である智は瞳を閉じて聴き入っており、刹那は力強く鍵盤を叩く彼女の白く細い指をじっと見つめている。
店内にピアノの調べ以外の音が聞こえない状態が暫くの間続いた。
しかし、そのある意味での静寂も突然入ってきた人物によって消されてしまった。

カラン

「か…いや、榊さん!ここにいたんですか…!」
 
入ってきたのは、スーツ姿の若い男だった。
あちこちを走り回ったのだろう、サラサラの髪は乱れて前髪が汗で一部額に張り付いている。肩で息をしながら彼はピアノを弾いている少女へと近づいてくる。

「何かやばくねぇ?」
「…俺、彼女へのご褒美のスイーツの準備するわ…」
「俺もランチのスープの仕込みが…」
「って!おい!力兄、晃兄、逃げんのかよっ!!」

そそくさ…といった様子で厨房へと引き上げるキュイジーヌとパティシエ。
愁は溜息をつくと、こちらに向かって歩いてくる男に声をかけた。

「いらっしゃいませ」
「え?…ああ…」
「すみませんが、只今他のお客様がピアノを演奏して下さっている最中でして…とりあえずお席につきませんか?」

愁は営業スマイルを浮かべて自分より頭一つ分高い来客を見上げた。
戸惑っている表情も様になる端整な顔立ち。同じ眼鏡でも弟とは180度違う印象を持たせるフレームなしの眼鏡。決して低くは無い自分の身長よりはるかに高い長身と長い手足。

……うわっ背ぇ高ぇ!!足長すぎっ!!顔もむちゃくちゃ良いし…コイツもしかしてモデルか何かか?

彼がそんな事を考えてると、演奏が止った。
さきほどまで演奏していた少女が、イスから立ち上がったからだ。

「………もしかして…霧生先生?」

…先生かよっ!!

愁は思わず心の中で突っ込みをいれた。
彼女のか細い声に反応したのか、彼に案内されて近くのテーブルに座っていた男が立ち上がった。
そしてゆっくりと歩いて少女の傍まで行くと、無表情で彼女を見下ろした。

「…初っ端から俺のレッスンをサボるとはね…」
「……………」
「しかも、今弾いてたのは俺が今日の課題に出していた曲ですね?」
「………ごめんなさい」

学校をボイコットした事を心から反省してるかのように項垂れて謝罪する少女。
すると、そんな生徒の様子を見て男は溜息をつき…

「新米の俺の指導じゃ、三年生でしかも我校きっての優等生である榊さんが不安になるのもわかりますが…」

え………三年生?……って事は、彼女ってもしかして俺より年上?

男の言葉にいちいち反応する愁。
そして彼の弟達も目の前の少女が自分のすぐ上の兄より学年が上だという事実に驚きの表情を浮かべていた。

「ちっ…違います…私そんなんじゃ…」
「なら理由は何?そんなに俺のレッスンを受けるのが嫌だった?」
「そんなっ………」

決して声を荒げている訳ではないのに、明らかに怒りが込められている男の声に、びくびくしつつも反論する少女。

「…おい…」
「何?」
「なぁ、どうする?」
「どうするって…僕らには傍観するしか出来ないよ。ね?サト」
「同感。触らぬ神に祟りなし」

愁と彼の弟達が小声でこそこそ話していたその時…

「にゃあ~」
「お~い!モーニングのBが上がったぞ。取りに来てくれ」

タンゴが鳴くのと同時に厨房から力也の呼び声が聞こえたのだ。

「は~い!今行くよ~。あの、お客様、とりあえずご注文の品が出来ましたのでテーブルに戻りませんか?」

刹那がそう言って少女に話しかけると、彼女はこくんと頷いた。

「そちらの方もご一緒にどうぞ」
「え…いや…俺は…」
「にゃ~お」
「ほら、タンゴもどうぞって言ってます」

刹那が人懐っこい笑みを浮かべて目の前の青年にそう言うと、彼は一瞬躊躇した。
すると、タンゴが彼の足元に擦り寄ってきて鳴いたのだ。

「くすくす…実は私もこの猫ちゃんに促されて弾いていたんです…」
「そう…なんですか?」
「あはは…実はそうなんですよ。でも、彼女にベートーヴェンをリクエストしたのはウチのスタッフですけどね?」

結局男は刹那に促されて少女と同じテーブルで、彼女の正面に座った。
彼がイスに座ると同時に愁が水とお絞りを持ってきた。

「何かお飲みになりますか?」
「じゃあ…ホットコーヒーを」
「豆は当店のオリジナルブレンドというのはいかがでしょうか?」
「じゃあそれで…」
「畏まりました」

愁はそう言うと厨房に行った。そんな彼と入れ替わるようにモーニングセットをトレイに載せた刹那が少女達が座っているテーブルに向かった。

「お待たせしました。モーニングセットのBです。後程カフェオレとスイーツをお持ちします」
「あの…」
「素晴しい演奏でしたから、約束どおりこの代金は只でいいですよ?」
「本当に?」
「ええ。当店の経理担当…先ほど貴方にあの曲をリクエストした男なんですけど…彼もそう言ってましたから…。ではごゆっくりどうぞ」

刹那はニッコリ笑ってそう言うと、トレイを持って会計ブースに座っている双子の兄のところに行った。

「あの………」
「俺に構わず食べていいですよ?」
「ありがとうございます」

少女は優雅に長い足を組んで座っている男をおずおずといった様子で見上げたが、彼が優しく微笑んだのを見て安心したような表情を浮かべた。
そして両手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めた。

「サト、さっきのお代は只でいいよね?」
「ああ。勿論だ」
「だけどさ、あの二人ってどうも只の教師と生徒って関係じゃなさそうじゃない?」
「……昔馴染みってところだな。あの男、店に入って来た時彼女の名前を呼びそうになって慌てて苗字に言い替えた」
「え?嘘っ…」
「ホント」

レシートやつり銭のチェックをしている智に刹那が確認と、彼は眼鏡のフレームを中指でくいっと持ち上げながら返答した。

「智…お前の耳は一体いくつあんだよ…」
「失礼な事を言うな」

ブレンドコーヒーをテーブルに置いてきた愁が彼等の所にやってきて呆れ顔でそう言うと、智はムッとした。
そんな彼等の様子を他所に、問題のテーブルは穏やかな空気が流れていたのだが…

「さて、そろそろちゃんとした理由を聞かせてくれませんか?」
「…………私、貴方の事を『先生』って呼べないよ…」
「夏帆…」
「だって!私、初めて会った時から裕人の事好きだったんだもん!!」
「っっ…!!」

少女…榊 夏帆はカフェオレ用のコーヒーカップをソーサーに置くと、目の前の青年…霧生 裕人を見上げてそう言った。

「ありゃりゃ…禁断の恋?」
「…セツTV見すぎ!」

こっそりとテーブルの二人の様子を窺っていた双子の兄弟は、少女の口から出た言葉にそれぞれの反応を見せた。

「ねぇ、それよかタンゴがいないよ?」
「タンゴが?さっきまでそのあたりに寝そべっていた筈だが?」

智と刹那は学校が休みの時でもなければ店にいる事はない。お互いに部活動に励んでいるし、二人とも中等部の生徒会に入っている為家に帰ってくるのも遅いのだ。
故に、彼等はタンゴの活躍振りをあまり知らないのである。

「何だお前らタンゴの武勇伝を知らねえの?」
「は?」
「タンゴの武勇伝?ね、愁兄さん!何それ?」
「まぁ見てなって…」

愁の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる智と、彼とは反対に興味深々という表情を浮かべる刹那。
愁はそんな弟達に向かって意味ありげな表情を浮かべた。

「大人の貴方に早く追いつきたくて、裕人に褒めて貰いたくて、ピアノのレッスンを一生懸命やってコンクールで沢山賞を取って、そして貴方の母校に入学して…」
「……………」
「卒業して帝都音大に入学して大学生になったら裕人に告白しようって…ずっと思ってて」
「夏帆…」
「……わかってる。裕人にとっては私はあの人の娘…恩師のお嬢さんだもんね。
だから、お母さんに誘われなきゃ裕人は家に来る事は無かったんでしょう?」

そう言うと夏帆は俯いてしまった。
彼女の正面に座っている青年も、夏帆に伸ばしかけた手を思わず引っ込めて握りこぶしを作っている。

「……なんかさ、ただの禁断の恋ってだけじゃないみたいだよね?」
「…セツ、余計な詮索はやめろよ」
「もしかしてお嬢様とその世話役…ってか?すげぇ!!まるでドラマか映画みてぇ!!」
「愁もお客様のプライバシーに突っ込むな」

複雑な表情の刹那に、相変わらず無表情で眼鏡のレンズが冷たさに輪をかけている智。
しかし、そんな弟達の様子とは違い愁は更に興味深々といった表情を浮かべている。

「でも…好きなんだもん!なのに、裕人は去年教育実習に来て…」
「くす…俺は元々音楽教師志望でしたから。母校に教育実習に行くのは当然でしょう?」
「嘘!!私に諦めさせるつもりだったんでしょ?だから教師を目指したんじゃないの?
こんな遠まわしに行動起こされるくらいならはっきり振られた方がマシだよっ!!
…うっく…せっ…世話係だって本当は迷惑だった…って…私にピアノを教えてくれたのだって、お母さんに頼まれたから断れなかったからだ…って…はっきり言ってよぉっ!!」

夏帆の手に雫がポトリと落ちた。それと同時に震え始める彼女の細い両肩。
すると…

「困ったな……」
「え?」
「夏帆を…俺の大切なお嬢様を傷つけたくなくて…君を泣かせたくなくてあの時離れた筈だったのに…」

いつの間にか夏帆の頬に添えられた大きな手。彼女が顔を上げるとくしゃりと辛そうに笑っている裕人がいたのだ。

「大恩ある先生の大切なお嬢様…稀代の天才と言われた男の血を引くたった一人の孫娘…俺にとって夏帆はそんな存在でしたよ。あの時までは…」
「裕人…?」
「夏帆に初めて会った時…貴方のピアノ講師兼ボディガードとして先生の屋敷に連れて来られた時、俺は両親を理不尽な交通事故で失ったのが原因で深く傷ついていたんです。
いや、傷ついてたなんて生易しいものじゃないな…世間に絶望していた…という方が正しいかもしれない」
「……………」
「夏帆の母親は俺が小学生の頃、音楽の教師をしていた人でしてね?
俺の両親は飲酒運転の大型トラックに一方的に衝突され事故死ししました。なのにあちらの会社には優秀な弁護士がついていたおかげでこちらは裁判に負け、加害者である運転手は『業務上過失致死罪』となり、小額の賠償金を貰っただけという悲惨な結果に終ったんです。
その上親戚の家をたらいまわしにされて人間不信になり、教師の間で要注意人物とされていた俺に、あの人は放課後ピアノを教えてくれていたんです。
ヒメちゃん先生はそれは熱心に教えてくれましたよ。何しろ俺はほっとくと直ぐに自分の手首を切ってしまう…そんな状態でしたから。
くす…恐らく先生は俺に生きる楽しみを植えつけようと必死だったんでしょう」
「お母さんが…?」
「ええ。たった二時間のレッスンだったにもかかわらず俺にはどうもその才能があったようで、先生や先生のご主人の勧めでいろんなコンクールに出ました。
それもあって君のピアノの講師になれたんでしょう」
「嘘…」
「ホント。あの頃の夏帆はまだ幼稚園に通っていたにも拘らずピアノ教師もお手上げの極端な人見知りで、何度もピアノ教室を変えさせられていた……よく先生もご主人も愚痴を零してたんですよ」
「……私そんなの覚えてないもん」
「くすくす…だから俺、あの二人に自分から申し出たんです。同じ子供同士だし講師と生徒というよりは一緒に勉強する仲間…そんな関係でお嬢様にピアノを教えたい…とね?」
「お母さんに強引に誘われたからじゃなかったの?」
「ええ」
「それじゃ私のボディーガードは?やっぱりそれくらいしなきゃ家にいられなかったからなの?」
「いいえ。実は俺の死んだ父親がたまたま空手道場の師範代を勤めていたせいもあって歩き始めた頃から鍛えさせられてたんです。
だから子供でも夏帆を守れるくらいの武術は身につけてたんですよ。どうせお世話させて頂くならそのお命もお守りしよう…そう思ってこれも俺から名乗りでたんです」
「命って…大袈裟な…」
「くす…夏帆、君は何故『榊姓』を名乗ってるのかまだわからないですか?」
「……それは…!!でも、裕人さん昔から細くて子役タレントの男の子みたいに綺麗だったし、ピアノを弾く指も細かったし、いつもニコニコ穏やかに笑っていたし、幼稚園にいるイジメっ子の男の子達なんか比べ物にならないくらい優しくて繊細で…」
「くすくす…夏帆の前では『優しいお兄さん』を演じてましたからね。本当の俺は足技だけで何人もの大人を病院送りにした程の野蛮な少年だったんですよ。
今思うと、あれでよく少年院に入れられなかったかと…くすくす」

裕人の口から出る衝撃の事実に、いつしか夏帆の涙も引っ込んでいた。
しかし、彼の昔話に驚いているのは目の前の彼女だけでなく…

「あのイケメン先生って壮絶な過去の持ち主だったんだ…」
「セツ、さっきから言ってるがあまり立ち聞きは良くないと思うぞ?」
「んな事言ったって聞こえちまったもんは仕方ねぇだろ?ってかマジにあの二人の関係って凄くねえ?ドラマチックってゆーかさ…」

デバガメ(?)兄弟は耳をダンボにして二人の客の会話を聞いていたのだ。

「だからね?俺は嫌々ながら夏帆のピアノ講師やボディーガードをやっていたんじゃないんですよ」
「じゃあ、どうして私に何も言わないで出て行ったの?私裕人に見捨てられたんだってすっごく悲しかったんだよ?それなのに二年ぶりに会えたと思ったら教育実習の先生と生徒という関係で…」
「わかってます。だから俺は夏帆から離れなければならなかった…」
「どうして?」
「くす…さっき俺は『あの時までは』と言ったでしょう?」
「あの時…?」
「夏帆が俺の母校を受験したいって言った時…ですよ。俺は、自分の勝手な想いで大切なお嬢様を傷つけたくなかった。
……だから、貴方から離れたんです」

そう言うと、裕人は喩えようも無く辛そうな表情を浮かべた
それを見れば彼がどんな想いで夏帆から離れたのか、他人から見ても一目瞭然だった。

「大学に入ってから夏帆を忘れようといろんな女性とつきあいました。先輩や同学年、中には卒業して社会人になっている人とかもいましたね…」
「やっぱり!!裕人めちゃくちゃ格好良いもん。女の人の方が放って置かなそう…」
「でも、結局彼女達に貴方の面影を重ねてしまい、誰一人として長続きはしなかったんです。
だから結局はこうして未練がましく夏帆のそばに戻ってきてしまいましたけどね?しかも最初で最後の我侭を通す為に先生に土下座までして…」
「え?」
「聖藍学園の理事長は先生のご主人の学友なんですよ。知りませんでしたか?」
「それじゃ裕人は…」
「くす…会社で言えばコネ入社って言うんでしょうか…」

自分を見捨てて離れていった筈の初恋のヒトが、まさか自分に会う為にそこまでして聖藍学園の教師になったというのだ。
夏帆は喜んでいいのか心配するべきなのかわからず、一瞬複雑な表情を浮かべた。しかし、ある事を思い出し、表情をくもらせ俯いてしまった。
一方裕人は、自分の告白を聞いて想像通りのリアクションをした彼女がその直後に塞ぎこんでしまった為、優しく問質した。

「どうしました?」
「裕人…霧生先生は着任当初からファンクラブが出来るくらいの人気者になっちゃうし、生徒だけでなく女の先生達も狙ってるって聞いたし、それに…」
「ん?」
「りっ…理事長先生のお知り合いのお嬢様とのお見合いの話が来てるって……」
「ああ…アレですか…」
「私…やっぱりこんな想いを抱えたままレッスンなんて出来ません!!だからって担当の先生を変えて欲しい…なんて生徒の私が言える筈もないし…それならいっそ先生の方から断って下されば…………ぐすっ……って思って…」

最後の方は堪えきれなかったようで、再び大きな瞳からポロポロと涙を零しながらとうとうしゃくりあげてしまった夏帆。
そんな彼女の顔に思わず手を伸ばしそうになって慌てて堪える裕人。
二人の間に重苦しい空気が流れていたその時…

バサッ

「にゃっ…にゃお~ん!」

夏帆が足元に置いておいたカバンをタンゴが倒したのだ。
彼等がタンゴの方を見ると、チャックが開いていたその中から一冊の楽譜が飛び出てしまっていた。

「これは…?」

イスから立ち上がり、楽譜を夏帆のカバンを元に戻そうとした裕人はソレを手にとって見つめた。

「あ…あの、アルバイトでピアノ教室の臨時講師を頼まれて…」
「ふぅん。そうだ、久しぶりに連弾しましょうか?」
「え?」
「にゃあ~♪」
「ほら、この猫も聴きたいって言ってる…そう思いませんか?」

裕人はそう言って立ち上がると楽譜を持ったままピアノがある場所に向かって歩き出した。
夏帆もカバンを持って慌てて彼の後を追う。

「夏帆、何を弾きます?」
「あの…初めて裕人と連弾した…」
「「クシコスの郵便馬車(ユウビンポスト)!!」」

思わずハモった二人。すると二人同時に吹き出したのだ。

「っぷ…くすくすくす」
「くすくすくす………夏帆、ちょっと待ってて?」
「はい?」

裕人はそう言うと、パンツのポケットから携帯を取り出した。

「……霧生です。ご報告が遅れてすみません。…ええ、見つかりましたよ。途中で具合が悪くなったらしくて自宅近くの喫茶店に保護されてました。
俺、今日のレッスンは彼女だけですのでこのまま連れて帰ります。
………はい。ご心配おかけして申し訳ございませんでした。
え?…いえ、問題ないと思います。多分貧血か何かでしょう。コンクールが近づいていたから緊張してたんじゃないかと………はい。そうですね、じゃあ本人にもよく言って聞かせますので…。
それと、お電話で恐縮ですが、あのお話はお断り致します。ええ、以前、貴方にお伝えしてた件が上手くいきそうなので……はい。ありがとうございます。それでは失礼します」

裕人はそう言うと携帯を切って再びパンツのポケットに入れた。

「さて、学校への報告も済んだ事だし…」
「え?」
「残念でしたね皆勤賞。今日は夏帆は病欠になりましたから」

そう言うと裕人はいたずらっ子のような表情を浮かべて夏帆にウィンクして見せた。
それを見てとたんに頬を染める夏帆。しかし、彼はそんな彼女をエスコートするようにしてピアノのイスに座らせた。

「愁、悪いが厨房の二人に言ってもらいたい事があるんだけど…」
「智、お兄様と呼べって言ったろ?なぁに、言わずともあの二人ならとっくにわかってるさ」
「そうだね。じゃあ、僕ちょっと行って来るよ」
「悪いなセツ」

智に手を振って応えると、刹那はドアを開けて外に出て行った。
そしてそれと同時に智はテーブルのイスを持ってピアノの近くに歩いて行き…

「よいしょ…。お客様、生憎このイスしか用意出来ませんが…」
「くす…ありがとうございます」

ニッコリ微笑んで智が置いたイスに裕人が腰掛けた。

「サト、愁兄さん、札を『準備中』にしてきたよ…ってあれ?愁兄さんは?」
「厨房で交渉中」
「え?」

刹那が店に戻ってきたら、フロアに愁の姿が無かったのだ。
すると…

「智、刹那、交渉成立!!今日はディナータイムまで貸切に決定だってさ!!」
「「え?」」
「そこでお客様、当キュイジーヌとパティシエからの提案ですが、本日お二人だけのミニコンサートをお願い出来ますか?
そのお礼としては何ですが、ランチとデザートもお付けしますよ」

愁がニッコリ笑って裕人と夏帆にそう言うと、夏帆は頬を染めたままこくんと頷き、裕人は苦笑しながら大きく頷いた。

「それじゃ、夏帆…」
「うん。いつでもいいよ?」
「「せぇのっ!!」」

♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪♪

「お?始まったか?…って!これ運動会のかけっこの歌じゃねーの?」
「あはは…晃兄さんのクラッシックの知識って面白いね」
「…刹那、俺も晃兄と同じ事思ったんだけど…」
「クラッシックを知らない奴はこれだから」
「ほぉ…二人でピアノを弾くと結構迫力出るんだな」

初めて連弾したその時に戻ったかのように、心から楽しいという表情で演奏する二人。
何とかまとまったかのように見えるカップル(?)を見て安心した兄弟達は、それぞれ近くのテーブルにつくとイスに腰掛けた。
そして智の足元にはいつの間にかタンゴがやってきて…

「にゃっ…にゃ…にゃにゃ…なぁ~う♪」
「見ろよ。タンゴの奴歌いながら踊ってるぜ?」
「ああ。何か楽しそうだな…」
「愁や晃兄さんよりはタンゴの方がよっぽどクラッシックを理解してる」
「智、人にはそれぞれ趣味ってもんが…」
「くすくす…タンゴが一番嬉しそうだね…くすくす」

得意満面の表情で彼なりに歌い踊るタンゴ。
今回の一番の功労者(?)である彼を兄弟達は楽しそうに見つめていた。

「……参ったな……」
「え?」

演奏しながら裕人がぼそっと呟いた。
夏帆はそんな彼の言葉に驚いて彼の方を向いたが、演奏している手を止めることはなかった。

「……夏帆が聖藍を卒業したら俺から告白するつもりだったのに…」
「…ひろ…」
「くす…その続きはまた後で。今は演奏に集中して?」
「はい!」

裕人の言葉に花が綻ぶような笑顔で応える夏帆。
その後二人はジュピターやカノンなどのクラッシックから、誰でも良くしってるような歌謡曲、そしてオールディズのアレンジを演奏したのだった。





*****************************************

登場人物
・榊 夏帆 18歳 私立聖藍学園ピアノ科3年生(実は夏帆は現在連載中の作品のどれかに登場する人物の娘です。※ヒントは彼女の姓と裕人の台詞の中にあり…) 
・霧生 裕人 23歳 私立聖藍学園ピアノ科教師

幸運を招く白い猫2008/12/08 00:38

「にゃあ~~」

その喫茶店には一匹の看板猫がいた。彼は時々客の相手をしたり、入り口に座って愛想を振りまき営業をしてくれている。

「兄さん、タンゴが鳴いてるよ」

ウェイターをしている四男の愁が厨房に向かってそう言った。
今日は雪。遵って客足も良くない。いつもはティータイム時には若い女性客で一杯になるのに、平日でしかも初雪というのも手伝ってか朝からあまり客が入ってなかった。

「タンゴが鳴いたって?久しぶりだなぁ…ここ数日は無かったのに…」

そう言ったのはパティシエをしている三男の晃貴である。
ウィンナーコーヒー用のホイップを作りながらそう呟くと、シェフ・ド・キュイジーヌ…簡単に言うとデザート以外を作る料理人の事だが…の力也が、眉間に皺を寄せた。

「…タンゴは猫にしちゃあ妙に第六感に優れたヤツだ。何か厄介事にでも巻き込まれなきゃあいいんだが…」

神経質で心配性の次男は包丁を研ぎながらそう呟いた。
と言うのも、彼が言ったとおりタンゴは勘が鋭いというか、頭が良いというか…某有名小説のホームズとまではいかないが彼の助手になれるであろう程の働きが出来る猫なのである。
時にはこの喫茶店に迷い込んだ幼児の両親を連れてきたり、(と言っても、その幼児をこの店に入れるのはタンゴ自身なのだが…)店に忘れ物をした客がいたりすると、それにいち早く気付くのが彼だったりするのだ。

カラン

入り口にかけてあるベルが鳴り、一人の女性がタンゴを抱きかかえて入ってきた。

「いらっしゃいませ」
「すみません。あの…この猫ちゃんてこちらの…ですよね?」

女性はそう言うと、その場にしゃがんで白猫を降ろそうとしたのだが…

「にゃっ!」
「こら!タンゴ!いい加減にしろよ!」

タンゴはその女性の腕の中が余程居心地良かったのか一向に床に下りようとしなかったのだ。
その様子を見た愁は、苦笑を浮かべると女性に話しかけた。

「とりあえず席に座りませんか?当店が誇る名パティシエの本日のケーキがもうすぐ焼きあがるんですよ」
「え?ケーキ?」
「はい。甘いものは好きですか?」
「勿論です!!」

その女性はタンゴを抱いたまま立ち上がるとニッコリと笑った。
ベージュのコートを羽織り、ブラウンのパンツスーツを着ている彼女は最低限のメイクを施し、髪をアップにして後にバレッタ一つで纏めている。
銀色の細いフレームの眼鏡をかけていて、いかにもバリバリ仕事をこなすキャリアウーマン風だったが、一瞬見せた笑顔はあどけない少女のようだった。
愁は彼女を席に案内すると、水の入ったグラスとお絞りをテーブルに置いた。

「ご注文は?」
「さっき仰っていたケーキを紅茶のセットで…」
「畏まりました」

愁がその女性から注文を聞いている間、タンゴは彼女の膝の上を独占していた。
その時、再び入り口のベルが鳴り、来客を告げた。

「ここ一度入ってみたかったの!」
「へぇ…なかなか良い雰囲気の店だな…」
「でしょ?それにここにいる看板猫ちゃんが可愛いって評判なのよ!」

入ってきたのは男女のカップルだった。
ライトブラウンのコートの下にグレーのスーツを着た長身でわりとハンサムな顔立ちの男と、真っ白のコートを着て足に同色のロングブーツを履いており、背中まで伸びたふわふわの髪とくりっとした大きな瞳が可愛い若い女性だった。
愁は慌てて彼等を出迎えると席に案内しようとしたのだが…

「もしかして…澪ちゃん?」

先ほど愁が案内した女性が、カップルの女性の方に話しかけたのだ。
彼女はとても懐かしそうにしていたのに、話しかけられた女性は驚愕の表情を浮かべていた。

「っっ……!!お姉ちゃん!どうして?いつ日本に?!」
「今朝パリから帰国したのよ。それより隣にいるのは彼?…って!まさか………」

タンゴを膝に抱いた女性は、妹の隣にいる男の顔を見て愕然とした。

「………久しぶり…」
「……修史…?何度もメールしても返事が来ないと思ったら…貴方達そう言う事だったのね…」
「ちっ…違うの!お姉ちゃん!!」
「…とにかく座ったら?ウェイターさんも困ってるわよ?澪ちゃんは甘いもの好きだから私と同じケーキセットなんてどうかしら?
………修史は…いつものマンデリン?」
「ああ。澪も…それでいいか?」
「う…うん」
「畏まりました」

結局タンゴを抱いた女性の正面に、どうやらその女性の元カレらしい男と彼女の妹が座った。
愁はなるべく無表情を保ったまま厨房へとオーダーを告げに行ったのだが…

「晃兄、俺修羅場に直面しちゃった…」
「見たところ、音信不通だった彼氏がいつの間にか自分の妹と出来てた…ってところだな」
「タンゴのヤツ、早速トラブル拾って来やがったよ!俺、あの三人が気になって仕事どころじゃなくなるかも…」
「今のところ客はあの三人だけだから丁度いいんじゃねえ?」

興奮気味で捲くし立てる愁に、興味深々と言った風情で淡々と語る晃貴。
そんな弟達を見て次男の力也は溜息をついた。
しかし、コーヒーとケーキセットという注文の為、用意するのに然程時間はかからない。
丁度良いタイミングで妬きあがったフルーツのシフォンケーキを晃貴が丁寧にカットし、ソーサーの上に乗せてホイップクリームでデコレートしてから弟に渡すと、愁は手際良く二人分の紅茶を用意してそれをトレーに乗せてテーブルまで運んで行った。

「本日のケーキ…フルーツをふんだんに使ったシフォンケーキです。添えてあるホイップクリームと一緒に召し上がって下さい」
「まぁ!美味しそう!!久しぶりの日本のスイーツだわ!」
「………あのね、お姉ちゃん…」
「澪ちゃん、さっさと食べましょうよ。修…いや、初瀬くん、悪いけど先に頂くわね」
「あ…ああ。どうぞ」

目の前にケーキを置かれても一向に手を出さない妹に対し、姉はわざとらしいくらいにはしゃぎながらフォークを手に持ち、ケーキを一口サイズに切って口の中に入れた。

「んん…美味し~っ!この甘さ加減最高!!ほら、澪ちゃんも!!」
「う…うん。それじゃ頂きます…(パクッ)…美味しい…」
「でしょ?」

姉に促されて妹も漸くケーキを一口食べた。
そして彼女達が食べている間に愁は男性が注文したマンデリンを持って行き、彼等がオーダーした物は全て揃った。
女性が時折震える手でケーキを食べていたのだが、膝の上にいた筈のタンゴはいつの間にかいなくなっていた。
そして姉妹が殆んどケーキを食べ終わり、紅茶を飲んで一息ついた頃、姉と思われる女性が静かに話しだした。

「澪ちゃん、それ…婚約指輪?」

姉に左手薬指にはまっている指輪を指摘され、妹は急にどもりだした。

「え?あ…あの…ええええっとこここここれは…」
「隠さなくてもいいのよ。おめでとう澪ちゃん。貴方昔から将来の夢がお嫁さんだったわよね」
「香月…彼女は悪くない!悪いのは…」
「初瀬くん、澪…いいえ、妹は料理上手で家事が得意でしかも子供好きなの!こんなに揃ったお嫁さんってなかなかいないわよ?」
「香月!!」

無理やり笑顔を浮かべてそう話す女性に対し、彼女の反対側に座っている男性は思わず声をあげた。

「あ~あ、彼女かなり無理しちゃってるよ…」
「女のプライドってヤツだろうな…。愁、お前気づいたか?」
「何をさ?」
「彼女、途中から彼氏の事を名前じゃなくて苗字で呼んでるのを…さ」
「そう言えば…。あのさ、彼女、笑って済ませたいみたいだけど彼氏と妹さんはそうさせたくないみたいだね。
でもさ、ちょっとそれって酷じゃねぇ?」
「だからって、俺らには何も出来ねーよ」

一つのテーブルに出来た三角関係の行く末を案じている愁と晃貴。
しかし、それまで黙って黙々とディナーの準備をしていた力也がいきなり口を開いたのだ。

「…もう一人の客が来る。それに、タンゴの様子も変化してるぞ…」
「「へ?」」

次男が発した言葉の意味がわからず、二人して間抜けな返事を返したその時…

カラン

一人の男性が入り口から入ってきたのだ。高級そうなロングコートを手に持ち、これまたブランド物であろうダークグレーのダブルのスーツを着た男は、モデル顔負けといったルックスを生かして優雅に歩いていたのだが…

「ここにいたのか…探したぞ?」
「え?」

まるで待ち合わせをしている人物を見つけたかのように香月に近づくと、彼女を見て微笑んだのだ。

「ほぅ…ケーキセットを食べていたのか…。丁度良い。俺も何か身体が温まる物を頂くとしよう」
「あの…」
「あっちの席に移動しないか?この席だと四人掛けは難しいだろう?それともまだこちらの方達と話があるのか?」

確かに香月が座っているテーブルはイスが三脚しかない。
どうやらこの男性は彼女に助け舟を出してくれているようだ。
彼女はこくりと頷くと手をあげて愁を呼んだ。

「ごめんなさい。知合いが来たから席を移りたいんですが…」
「畏まりました」

愁はそう言うと、香月のティーカップとティーポットをトレーに乗せた。
すると、女性は立ち上がり目の前のカップルに向かって笑顔を浮かべて話しかけた。

「初瀬くん、澪ちゃん、また詳しい事がわかったら連絡頂戴」
「お姉ちゃん…」
「くす…お幸せにね二人とも」
「貴方も…新城先輩。それじゃ澪、行くぞ。ディナーの予約時間が迫ってる」
「う…うん。お姉ちゃんまたね?」

パートナーの男に急かされるようにして立ち上がった妹は、先ほど入ってきた男性にペコリと挨拶をすると、恋人にエスコートされるようにしてレジに向かって歩いて行った。
そして男が支払いを済ませると二人仲良さそうにして店から出て行ったのだ。

「……新田社長、何故ここに?パリにいらしたんじゃ…」
「新城くんが乗ったヤツの次の便で急遽帰国した。それより、俺も飲み物を頼んでいいか?」
「え?ええ。どうぞ」

男は手をあげて愁を呼ぶと、ブルーマウンテンを注文した。
そして高級そうな背広のポケットから煙草を取り出し目線だけで彼女に確認を取ると1本加えてジッポーで火をつけた。

「先ほどはありがとうございました…」
「いや。礼を言われる筋合いはない」

男性に向かって頭を下げる香月。すると、男はバツが悪そうな表情を浮かべた。

「そんな…でも…」
「俺がしたかったから」
「え?」
「その…つまりだ、これで新城くんもフリーになった…という事だろう?」

大して吸ってもいないのに灰皿に煙草を押し付けるようにして消すと、コホンと何度も咳払いをしながらそう話す男性。
そんな彼の言葉に香月は目を見開いて驚いており…

「ねえ!あれってもしかして新しい恋の始まり…かな?」
「ああ。あの様子だと彼女も満更じゃなさそうだしな…」
「にゃあ~♪」
「へ?タンゴ?お前いつの間に…」

うきうき顔で話す愁に、ニヤニヤしながら応える晃貴。
すると、いつの間にか愁の足元にタンゴがいて彼に擦り寄ってきた。

「あの…それってどういう…」
「新城くん…いや、新城 香月さん、俺とお付き合いしてくれませんか?」
「え?でもそんな急には…」
「俺は君の心の傷を癒したいんだ。今回の出張に無理やり君を連れて行ったのも君が皆に隠れて泣いていたのを見てしまったからであって…」
「え?」
「いや違う。実は…君が俺の担当秘書になった時から…その…君の事を…」

徐々にポーカーフェイスを崩しながら告白している男は、さっきまでの雰囲気とは180度違う状態になっており…

「社長…」
「………失恋の一番の特効薬は新しい恋だと思わないか?」

数分前までは余裕綽綽だった男が、半ば必死の形相で訴えかけている。
右手を口元にあて、左手の中ではジッポーをくるくると回していかにも落ち着かない様子だ。
そんな彼の様子を見た彼女ははにかんだようにフワリと笑い…

「くす…わかりました。すぐには無理ですけど、お友達からなら…」
「契約成立だ。これからは遠慮なくアタックするからそのつもりで」
「ふふ…お手柔らかに…」

妹達に向けていた嘘の笑顔でなく、心からの笑顔で目の前の男に微笑みかける香月。
そしてそんな彼女を見て安心したように笑う男。
新しく出来た(?)カップルを見届けて、愁と晃貴は安心したような表情を浮かべた。

「おさまるところに治まった…ってやつ?」
「俺もホッとしたぜ。それにしても何であのゴージャスなイケメンがあのタイミングで現れたんだ?」
「あ!それ俺も思った!!」
「何だ…お前ら見てなかったのか?」
「「何を?」」

次男の言葉に思わずユニゾンして二人一斉に振り向く三男と四男。
そしてどうやら彼女も彼等と同じ疑問を抱いており…

「でも、社長、どうしてこのお店に?」
「ああ、猫がな…」
「猫?」
「新城くんに電話をしても一向に繋がらないし、たまたまこの近くの駐車場に車を停めて煙草を買ってたら突然白い猫が擦り寄ってきたんだ。
あんまり人懐っこいんで抱き上げようとしたらするりと逃げ出してな?
少し前を歩いては俺の方に振り返って鳴くんだよ。
それにつられるようにして歩いていたらいつの間にかこの店の近くまで来てて、店の窓から君達の様子が見えたんだ。
涙を堪えている君の姿を見て思わず中に入ってしまったんだが…そう言えばあの猫、どこに行ったんだ?」

男性はそう言って床の上を見渡した。
しかし、タンゴは厨房に引っ込んでいる愁の足元に纏わりついており、彼に案内された男の目に留まる事は無かった。

「まさか…タンゴが?」
「あのイケメン社長を探してこの店に連れて来たって?」
「だから言ったろ?タンゴは第六感に優れたヤツだと…な?
アイツは全てわかってたんだ。だから彼女をこの店に連れて来て一つの恋を終らせてから、彼女の新しいパートナーを探してここに連れて来たのさ。
ホント、猫にしとくのは勿体無いヤツだよ…」

デミグラスソースを掻き雑ぜながら無表情で淡々と語る次男。

「すげぇやタンゴ!!」
「力兄貴の言うとおり、お前マジ猫にしとくのは惜しいっつーの!」

思わず弟達は感嘆の声をあげ、愁の足元に丸くなっているタンゴを見つめたのだが…

「にゃお~♪」

得意満面といった様子でタンゴは二人の人間からの尊敬の眼差しを浴びていたのだった。

白猫喫茶店シリーズ2008/12/07 18:20

とある喫茶店にて起こる様々な出来事をショート仕立てでまとめてます。

イケメンの兄弟達が経営する女性に人気の喫茶店。
そこではちょっと切なかったり、ドキドキしたり、砂糖よりも甘い物語が日夜繰り広げられております。
従業員達と同じ気持でヒロイン達の恋の行方を見守って下されば嬉しいです。

でも案外この物語の本当の主人公は看板猫かもしれません。


※この物語はフィクションです。話に登場する人・物・団体名などは全て実在のモノとは関係ありません。
また、ここに置いてある作品の著作権はT-kiwaにあります。よって勝手にコピーしたり無断転載するのはご遠慮下さい