クリスマスの奇跡~異邦人(エトランゼ)だって恋をする~ ――プロローグ―― ― 2009/12/25 17:20
「それじゃあ雫(しずく)、後はお願いね~」
「くれぐれも戸締りはしっかりとな?」
そう言って回りにピンクやら紫色やらのハートをぶちまけてお手手つないでルンルンルンで出かけていくのは万年新婚夫婦の万年バカップル夫婦……なんの事はない。あたしの両親だ。
毎年この時期に北欧に旅行に出かける両親を見送ったあたしは玄関のドアを閉めて鍵をかけチェーンもしっかりと嵌めた。
♪♪♪♪♪
タイミング良くかかってきたのは携帯電話。発信者は勿論…
「もしもし?」
『し~ちゃん、あのバカップルどもは出かけた?』
「うん」
『これから“おつとめ”だよね?ごめん。実は今日も泊まりになりそうなんだ…』
「大丈夫だよ磨子お姉ちゃん。前回も大丈夫だったし……」
『前回って…確か10年前だったっけ?』
「そうだよ」
『くれぐれも油断しちゃ駄目だよ?し~ちゃんの“おつとめ”が確認出来たらメール入れるから』
「ありがと。あたし頑張るね」
あたしがそう言うと磨子お姉ちゃんは安心したような返事をしてから電話を切った。
一番上の姉である磨子お姉ちゃんは有名雑誌社の編集部お仕事をしている。今日も作家さんのところでお泊りのようだ。
「さてと、“おつとめ”を無事果たす為にもちょっと準備しておくか……」
あたしはそう言うとリビングに行き、秘蔵コレクションの中から某有名お涙頂戴アニメをセレクトした。
***********************
「う゛~~~っ!寒いっ!!」
某有名アニメで充分涙腺を緩めたあたしは真冬の最中だというのに真っ白な振袖一枚で山道を歩いている。
目指す祠は実はあたしが通っている私立高校の裏手にあるのだ。
「今日ってクリスマスイブだよね?世間ではカップルがいちゃつきまくって家々では家族の団欒があって…あったかい部屋に甘~いケーキ、そしてプレゼント……それなのにあたしはこの寒空の中たった一人、しかも着物一枚で歩いてるんだよ?あ~あ、人間って良いなぁ~~」
……今の呟きでわかると思うけど、実はあたしは妖怪ってやつなの。
父親は雪男で母親は縁障女。二人の姉がいるんだけど長女の磨子お姉ちゃんはバク……いわゆる夢魔ね。で、次女の天音お姉ちゃんは韋駄天……空を飛べるしとにかく脚が早いの…で、三女のあたし、雫は雨女。
クリスマスイブは人間界にいる雨女にとっては“おつとめ”をしなければいけない大切な日なのだ。しかもそれは10ごとに順番が廻って来る、所謂シフト制って言うヤツ?
あたしたち雨女は雪を振らせる為に祠で『雨降らしの歌』を歌うのだ。しかもちゃんと心を込めて歌わないと雪にならない。
だからあたしはより感情を込める為に自分が“おつとめ”を果たす時は号泣必須と言われるような映画を見る。
10年前に見たのは『キ○キ○ネ物語』だった。歌いながら号泣したあたしは見事『ホワイトクリスマス』にする事が出来たのだった。
「あたしだって人間で言えばピッチピチの女子高生。素敵な彼氏とラブラブクリスマス~だってありえる年齢なのにさ…」
次の“おつとめ”は悲恋モノでも見ようか。ヒロインと相手役をあたしと武藤先生に置き換えてさ、身分違いの恋、決して叶わぬ恋~…なんてね?
………あ、想像しただけで涙腺が緩んできた!!涙クンまだ駄目よ!祠に入ってからじゃなきゃ!
そうよ。あたしだって恋くらいは経験してる……っつーか、絶賛片思い中なんだけどさ。
しかも相手はずぇ~~ったいに恋してはならない人間様!
我校一のイケメンで生徒にも先生方にも人気があって、他校にはファンクラブらしきモノがあって追っかけまでいるという。
担当教科は国語。さらっさらのちょっと長めの黒髪に切れ長で睫毛ばっさばさの瞳。すっと通った高い鼻に、極めつけは男にしとくのはもったいないくらい艶々で色気のある唇。
そんな武藤先生はミラクルボイスの持ち主で、先生が教科書を読んでいる時はあたしにとって至福の一時なのだ。
しかし、先生はとってもストイック。生徒は勿論だけど他の先生方と談笑している場面すら見たことがない。
………そこがまた魅力的なんだけどね…
色白で痩身なのに、どさくさに紛れて先生に体当たりした勇敢少女の告白だと今でいうところの細マッチョ…な体型をされているらしい。
「いいの。どうせ叶わぬ恋なんだから。先生を見られるだけで幸せだもんあたし…」
目的の祠に辿り着くと、あたしは瞳を閉じて精神統一を始めた。
*************************
「うっく…ひっく…ふぇ~~~ん!天音お姉ちゃぁ~~ん!!」
「雫……」
あたしは今ウチのリビングで次女である天音お姉ちゃんに抱きつきながらわんわん泣いている。
無事“おつとめ”を果たしたあたしは仕事を終えて家に向かっている天音お姉ちゃんに助けを求めた。
あたしのヘルプを聞いた優しいお姉ちゃんはすぐさまあたしの前に現れて、あたしごと家まで飛んでくれたんだけど…
ガチャ
「しーちゃん!人間に見られたって!?」
「ぐすっ……磨子お姉ちゃん…」
「姉さん……」
今日は作家さんのところで泊まりだったはずの磨子お姉ちゃんが息を切らしながらリビングに入ってきた。
あたしは涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を上げて磨子お姉ちゃんを見上げた。
無事“おつとめ”を果たしたあたしは雪が降る中とある場所へと向かったのだ。感傷的になっていたあたしは気がつくと校門の前に立っていた。
「……さすがに誰もいないよねぇ…」
今日終業式があり、明日から冬休みだからか今晩先生方がどこかの居酒屋で忘年会をすると誰かが言っていた。そのせいか電気が消えている校舎は昼間とはまったく別の姿をしているように思えた。
「…妖怪様にはこんな鍵なんて意味ないんだよ~ん」
そう言うとあたしは錠が降りている門をするっと通り抜けた。あたしたち妖怪はどんな物質も原子レベルまで拡大し、そのわずかな隙間を通り抜ける事が出来るのだ。壁だって塀だって、勿論ドアだって通り抜ける事が出来る。
…但し、本来の姿に戻った時のみ有効な能力なんだけどね…
校門を突破したあたしはそのまま昇降口に向かって歩みを進めた。
その時…
「誰だ。そこにいるのは」
「え?」
漆黒の闇の中に轟く低音ボイス。咄嗟に振り返ったあたしの浅葱の瞳に映ったのは………―――――――あたしが二年間恋してやまない人だった
**********************
「ぐすっ………」
「姉さん、どうにかならないの?」
「駄目よ。人間に姿を見られたらソレの記憶を抹消して姿を消す……これは人間界に住む妖怪の掟なのよ」
「でも雫にとっては初恋なのよ?それにその男に雫の正体がばれている筈ないし、せめてこの娘が卒業するまで…」
「確かに人間化しているあたし達の正体が彼等にばれる事はないわ。でもね?いずれは諦めなくてはならない想いなら早い方が良いと思わない?」
「でもっ…でもっ……あたし、まだ先生を……ひっく…」
磨子お姉ちゃんは人間が見る夢を操る事が出来る。実際起きた出来事を夢にする事も。そして磨子お姉ちゃんに夢を食べられた人間は二度とその内容を思い出せないのだ。
先生があたしの事を忘れる?いや、先生だけじゃない!クラスメイトも他の先生方も、校長先生も…学校関係者の記憶からあたしだけが消されるのだ。
「……姉さん、雫だけじゃなくてあたしに関する記憶もデリートして貰える?」
「ひっく…ひっく…あっ…あまねおねえちゃ……ひっく…」
「天音……あんた、もしかして…」
「うん。あたしも禁断の恋ってヤツに嵌ってる……ってか片思いだけどね」
あたしが天音お姉ちゃんの顔を見上げると、お姉ちゃんは辛そうに笑ってた。
それって……もしかしたら天音お姉ちゃんも人間に?
「はぁ~~~っ。あたし達ってついてないわ…」
「「え?」」
溜息をついてショートボブの髪をかき上げる磨子お姉ちゃん。
天音お姉ちゃん同様辛そうでも笑顔を浮かべていて…
「あたしもね、今担当している新人作家くんに片思いしてんの」
「嘘!」
思わずあたしの涙がひっこんじゃった!だってあたし達はお父さんとお母さんからくどいほどに人間に恋するなって言われて来たんだし…人間年齢でいうところの適齢期ってやつに該当する磨子お姉ちゃんはいろんな人からお見合いの話を受けては断るを繰り返していた筈だ。
「だって…姉さんその作家さんのところに泊まる事もあるんでしょう?」
「……うん。だからある意味地獄だったかも。
…………よしっ!今日は折角のイブだし、記憶の操作は明日にしようっ!今宵一晩お互いの好きな人について語り合おうではないかっ!」
「「賛成!!」」
磨子お姉ちゃんのその言葉に、あたしと天音お姉ちゃんは思いっきり賛同した。
「そうと決まればセッティング~~♪」
「あたしおつまみ作るね」
「雫、あんたも今日は無礼講よ!確か父さん秘蔵のナポレオンがあっちの棚にあったよねん♪」
天音お姉ちゃんはキッチンに、磨子お姉ちゃんとあたしはリビングに嬉々として向かった。
武藤先生を諦めるのは辛いけど、お姉ちゃん達もあたしと同じように苦しいんだ……そう思ったら何だか気持が軽くなった。
食器棚からグラスを三つとお箸を取り出しリビングのテーブルに並べる。食事はダイニングテーブルで食べているけど今日は特別だからって磨子お姉ちゃんがリビングのテーブルにクロスを敷いたのだ。
お皿やお箸、グラスと飲み物を置いていたら天音おねえちゃんが両手に大皿を持ってやって来た。
「とりあえず冷蔵庫にあるもので二品作ってみたよ」
「さすが天音お姉ちゃん!」
「おいしそう~~っ!」
「あ!あたしとっておきのお菓子提供しちゃうっ!」
「出して出して♪あたしも実は皆で食べようと思ってケーキを買ってきてあるのだ。
今晩はダイエットなんて考えないで只管食べて飲もう!」
「「お~っ!!」」
あたしが買い溜めしておいたスナックを戸棚から出し、磨子お姉ちゃんはいつの間に用意したのだろうちょっと大きめのホールサイズのクリスマスケーキを冷蔵庫から出してきた。
その間に天音お姉ちゃんは自作のおつまみを取り皿にわけ、しかもグラスにワインをついでくれた。
「さて、それでは我等姉妹の前途を祝して…」
「え~~だって三人とも失恋決定なんでしょ?」
「いいのいいの!イケメン妖怪に会えるチャンスが出来たと思えば目出度いじゃない?ってな訳でかんぱぁ~~~いっ!」
「「かんぱぁ~いっ!」
三人でグラスを掲げてカチっとぶつけたその時…
ピ~ンポ~ン
「何?あの間延びしたまぬけなチャイムは」
「あ…あたし出てくる。お姉ちゃん達は食べてて」
「そう?ごめんね雫」
二人の姉達にそう言うと、あたしはグラスをテーブルに置いて立ち上がると玄関に向かった。
「あの…どちら様で…?」
『こちらは雪野 磨子様、天音様、雫様のお宅でしょうか?』
「あの、雫はあたしで磨子と天音は姉達ですが、あなたは?」
『さるお方より貴方様方をお連れするよう言付かっておる者です』
「え?」
「し~ちゃんどうしたの?」
「雫?」
「お姉ちゃん!」
『おお!なんとお三方お揃いですな?それは結構結構!しからば…』
ッス…
「ぎゃあっ!」
「え!?」
「嘘っ!」
ドアを通り抜けるようにして現れたのは、TVや漫画で言うところの執事スタイルをしたおじいさんで…
「突然訪問した失礼は後程お詫びさせて頂きますので、今すぐ私と一緒に来て下さい。お前達、こちらのお嬢様方をお連れするのだ」
「「「「「は!」」」」」
おじいさんがそう言うと、彼と同じようにドアを通り抜けて現れた黒服男達があっという間にあたし達を捕獲(?)した。
「ちょっ!あんた達いったい何者なのっ!」
「なっ…何す…」
「放せ!人攫い!」
「くす……若様の大切なお方に手荒な真似はいたしとうないのですが…仕方ありませんな」
「「「え?」」」
おじいさんがそう言って右手を上げた直後、あたし達の意識は途切れたのだった。
「くれぐれも戸締りはしっかりとな?」
そう言って回りにピンクやら紫色やらのハートをぶちまけてお手手つないでルンルンルンで出かけていくのは万年新婚夫婦の万年バカップル夫婦……なんの事はない。あたしの両親だ。
毎年この時期に北欧に旅行に出かける両親を見送ったあたしは玄関のドアを閉めて鍵をかけチェーンもしっかりと嵌めた。
♪♪♪♪♪
タイミング良くかかってきたのは携帯電話。発信者は勿論…
「もしもし?」
『し~ちゃん、あのバカップルどもは出かけた?』
「うん」
『これから“おつとめ”だよね?ごめん。実は今日も泊まりになりそうなんだ…』
「大丈夫だよ磨子お姉ちゃん。前回も大丈夫だったし……」
『前回って…確か10年前だったっけ?』
「そうだよ」
『くれぐれも油断しちゃ駄目だよ?し~ちゃんの“おつとめ”が確認出来たらメール入れるから』
「ありがと。あたし頑張るね」
あたしがそう言うと磨子お姉ちゃんは安心したような返事をしてから電話を切った。
一番上の姉である磨子お姉ちゃんは有名雑誌社の編集部お仕事をしている。今日も作家さんのところでお泊りのようだ。
「さてと、“おつとめ”を無事果たす為にもちょっと準備しておくか……」
あたしはそう言うとリビングに行き、秘蔵コレクションの中から某有名お涙頂戴アニメをセレクトした。
***********************
「う゛~~~っ!寒いっ!!」
某有名アニメで充分涙腺を緩めたあたしは真冬の最中だというのに真っ白な振袖一枚で山道を歩いている。
目指す祠は実はあたしが通っている私立高校の裏手にあるのだ。
「今日ってクリスマスイブだよね?世間ではカップルがいちゃつきまくって家々では家族の団欒があって…あったかい部屋に甘~いケーキ、そしてプレゼント……それなのにあたしはこの寒空の中たった一人、しかも着物一枚で歩いてるんだよ?あ~あ、人間って良いなぁ~~」
……今の呟きでわかると思うけど、実はあたしは妖怪ってやつなの。
父親は雪男で母親は縁障女。二人の姉がいるんだけど長女の磨子お姉ちゃんはバク……いわゆる夢魔ね。で、次女の天音お姉ちゃんは韋駄天……空を飛べるしとにかく脚が早いの…で、三女のあたし、雫は雨女。
クリスマスイブは人間界にいる雨女にとっては“おつとめ”をしなければいけない大切な日なのだ。しかもそれは10ごとに順番が廻って来る、所謂シフト制って言うヤツ?
あたしたち雨女は雪を振らせる為に祠で『雨降らしの歌』を歌うのだ。しかもちゃんと心を込めて歌わないと雪にならない。
だからあたしはより感情を込める為に自分が“おつとめ”を果たす時は号泣必須と言われるような映画を見る。
10年前に見たのは『キ○キ○ネ物語』だった。歌いながら号泣したあたしは見事『ホワイトクリスマス』にする事が出来たのだった。
「あたしだって人間で言えばピッチピチの女子高生。素敵な彼氏とラブラブクリスマス~だってありえる年齢なのにさ…」
次の“おつとめ”は悲恋モノでも見ようか。ヒロインと相手役をあたしと武藤先生に置き換えてさ、身分違いの恋、決して叶わぬ恋~…なんてね?
………あ、想像しただけで涙腺が緩んできた!!涙クンまだ駄目よ!祠に入ってからじゃなきゃ!
そうよ。あたしだって恋くらいは経験してる……っつーか、絶賛片思い中なんだけどさ。
しかも相手はずぇ~~ったいに恋してはならない人間様!
我校一のイケメンで生徒にも先生方にも人気があって、他校にはファンクラブらしきモノがあって追っかけまでいるという。
担当教科は国語。さらっさらのちょっと長めの黒髪に切れ長で睫毛ばっさばさの瞳。すっと通った高い鼻に、極めつけは男にしとくのはもったいないくらい艶々で色気のある唇。
そんな武藤先生はミラクルボイスの持ち主で、先生が教科書を読んでいる時はあたしにとって至福の一時なのだ。
しかし、先生はとってもストイック。生徒は勿論だけど他の先生方と談笑している場面すら見たことがない。
………そこがまた魅力的なんだけどね…
色白で痩身なのに、どさくさに紛れて先生に体当たりした勇敢少女の告白だと今でいうところの細マッチョ…な体型をされているらしい。
「いいの。どうせ叶わぬ恋なんだから。先生を見られるだけで幸せだもんあたし…」
目的の祠に辿り着くと、あたしは瞳を閉じて精神統一を始めた。
*************************
「うっく…ひっく…ふぇ~~~ん!天音お姉ちゃぁ~~ん!!」
「雫……」
あたしは今ウチのリビングで次女である天音お姉ちゃんに抱きつきながらわんわん泣いている。
無事“おつとめ”を果たしたあたしは仕事を終えて家に向かっている天音お姉ちゃんに助けを求めた。
あたしのヘルプを聞いた優しいお姉ちゃんはすぐさまあたしの前に現れて、あたしごと家まで飛んでくれたんだけど…
ガチャ
「しーちゃん!人間に見られたって!?」
「ぐすっ……磨子お姉ちゃん…」
「姉さん……」
今日は作家さんのところで泊まりだったはずの磨子お姉ちゃんが息を切らしながらリビングに入ってきた。
あたしは涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を上げて磨子お姉ちゃんを見上げた。
無事“おつとめ”を果たしたあたしは雪が降る中とある場所へと向かったのだ。感傷的になっていたあたしは気がつくと校門の前に立っていた。
「……さすがに誰もいないよねぇ…」
今日終業式があり、明日から冬休みだからか今晩先生方がどこかの居酒屋で忘年会をすると誰かが言っていた。そのせいか電気が消えている校舎は昼間とはまったく別の姿をしているように思えた。
「…妖怪様にはこんな鍵なんて意味ないんだよ~ん」
そう言うとあたしは錠が降りている門をするっと通り抜けた。あたしたち妖怪はどんな物質も原子レベルまで拡大し、そのわずかな隙間を通り抜ける事が出来るのだ。壁だって塀だって、勿論ドアだって通り抜ける事が出来る。
…但し、本来の姿に戻った時のみ有効な能力なんだけどね…
校門を突破したあたしはそのまま昇降口に向かって歩みを進めた。
その時…
「誰だ。そこにいるのは」
「え?」
漆黒の闇の中に轟く低音ボイス。咄嗟に振り返ったあたしの浅葱の瞳に映ったのは………―――――――あたしが二年間恋してやまない人だった
**********************
「ぐすっ………」
「姉さん、どうにかならないの?」
「駄目よ。人間に姿を見られたらソレの記憶を抹消して姿を消す……これは人間界に住む妖怪の掟なのよ」
「でも雫にとっては初恋なのよ?それにその男に雫の正体がばれている筈ないし、せめてこの娘が卒業するまで…」
「確かに人間化しているあたし達の正体が彼等にばれる事はないわ。でもね?いずれは諦めなくてはならない想いなら早い方が良いと思わない?」
「でもっ…でもっ……あたし、まだ先生を……ひっく…」
磨子お姉ちゃんは人間が見る夢を操る事が出来る。実際起きた出来事を夢にする事も。そして磨子お姉ちゃんに夢を食べられた人間は二度とその内容を思い出せないのだ。
先生があたしの事を忘れる?いや、先生だけじゃない!クラスメイトも他の先生方も、校長先生も…学校関係者の記憶からあたしだけが消されるのだ。
「……姉さん、雫だけじゃなくてあたしに関する記憶もデリートして貰える?」
「ひっく…ひっく…あっ…あまねおねえちゃ……ひっく…」
「天音……あんた、もしかして…」
「うん。あたしも禁断の恋ってヤツに嵌ってる……ってか片思いだけどね」
あたしが天音お姉ちゃんの顔を見上げると、お姉ちゃんは辛そうに笑ってた。
それって……もしかしたら天音お姉ちゃんも人間に?
「はぁ~~~っ。あたし達ってついてないわ…」
「「え?」」
溜息をついてショートボブの髪をかき上げる磨子お姉ちゃん。
天音お姉ちゃん同様辛そうでも笑顔を浮かべていて…
「あたしもね、今担当している新人作家くんに片思いしてんの」
「嘘!」
思わずあたしの涙がひっこんじゃった!だってあたし達はお父さんとお母さんからくどいほどに人間に恋するなって言われて来たんだし…人間年齢でいうところの適齢期ってやつに該当する磨子お姉ちゃんはいろんな人からお見合いの話を受けては断るを繰り返していた筈だ。
「だって…姉さんその作家さんのところに泊まる事もあるんでしょう?」
「……うん。だからある意味地獄だったかも。
…………よしっ!今日は折角のイブだし、記憶の操作は明日にしようっ!今宵一晩お互いの好きな人について語り合おうではないかっ!」
「「賛成!!」」
磨子お姉ちゃんのその言葉に、あたしと天音お姉ちゃんは思いっきり賛同した。
「そうと決まればセッティング~~♪」
「あたしおつまみ作るね」
「雫、あんたも今日は無礼講よ!確か父さん秘蔵のナポレオンがあっちの棚にあったよねん♪」
天音お姉ちゃんはキッチンに、磨子お姉ちゃんとあたしはリビングに嬉々として向かった。
武藤先生を諦めるのは辛いけど、お姉ちゃん達もあたしと同じように苦しいんだ……そう思ったら何だか気持が軽くなった。
食器棚からグラスを三つとお箸を取り出しリビングのテーブルに並べる。食事はダイニングテーブルで食べているけど今日は特別だからって磨子お姉ちゃんがリビングのテーブルにクロスを敷いたのだ。
お皿やお箸、グラスと飲み物を置いていたら天音おねえちゃんが両手に大皿を持ってやって来た。
「とりあえず冷蔵庫にあるもので二品作ってみたよ」
「さすが天音お姉ちゃん!」
「おいしそう~~っ!」
「あ!あたしとっておきのお菓子提供しちゃうっ!」
「出して出して♪あたしも実は皆で食べようと思ってケーキを買ってきてあるのだ。
今晩はダイエットなんて考えないで只管食べて飲もう!」
「「お~っ!!」」
あたしが買い溜めしておいたスナックを戸棚から出し、磨子お姉ちゃんはいつの間に用意したのだろうちょっと大きめのホールサイズのクリスマスケーキを冷蔵庫から出してきた。
その間に天音お姉ちゃんは自作のおつまみを取り皿にわけ、しかもグラスにワインをついでくれた。
「さて、それでは我等姉妹の前途を祝して…」
「え~~だって三人とも失恋決定なんでしょ?」
「いいのいいの!イケメン妖怪に会えるチャンスが出来たと思えば目出度いじゃない?ってな訳でかんぱぁ~~~いっ!」
「「かんぱぁ~いっ!」
三人でグラスを掲げてカチっとぶつけたその時…
ピ~ンポ~ン
「何?あの間延びしたまぬけなチャイムは」
「あ…あたし出てくる。お姉ちゃん達は食べてて」
「そう?ごめんね雫」
二人の姉達にそう言うと、あたしはグラスをテーブルに置いて立ち上がると玄関に向かった。
「あの…どちら様で…?」
『こちらは雪野 磨子様、天音様、雫様のお宅でしょうか?』
「あの、雫はあたしで磨子と天音は姉達ですが、あなたは?」
『さるお方より貴方様方をお連れするよう言付かっておる者です』
「え?」
「し~ちゃんどうしたの?」
「雫?」
「お姉ちゃん!」
『おお!なんとお三方お揃いですな?それは結構結構!しからば…』
ッス…
「ぎゃあっ!」
「え!?」
「嘘っ!」
ドアを通り抜けるようにして現れたのは、TVや漫画で言うところの執事スタイルをしたおじいさんで…
「突然訪問した失礼は後程お詫びさせて頂きますので、今すぐ私と一緒に来て下さい。お前達、こちらのお嬢様方をお連れするのだ」
「「「「「は!」」」」」
おじいさんがそう言うと、彼と同じようにドアを通り抜けて現れた黒服男達があっという間にあたし達を捕獲(?)した。
「ちょっ!あんた達いったい何者なのっ!」
「なっ…何す…」
「放せ!人攫い!」
「くす……若様の大切なお方に手荒な真似はいたしとうないのですが…仕方ありませんな」
「「「え?」」」
おじいさんがそう言って右手を上げた直後、あたし達の意識は途切れたのだった。
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